久しぶりに自然を思い出した。 [日記]
足で感じる砂浜、芝生、蜘蛛の巣、トンボ、鳥の囀り、、
久しぶりの自然を感じるのがいいですね。
でもこのカラスぐらい大きなオウムの鳴き声にはびっくりした。
明け方に「ギャ〜〜!!」と大声で鳴くんです。
犬は吠えるしね。
この島は大きな岩がゴロゴロしているので、
それをハッパをかけて壊してもキリがない(たぶん)
で、家の一部のデザインとして取り込んでいるようです。
キッチンの冷蔵庫の横にある大きな岩。
庭にある岩。
今日は街まで散歩に行きました。
冬なのでほとんど人がいない。
店は開いているけど暇そうでした。
オフシーズンの旅行もいいですね。
カヌーで筋トレ? [日記]
今日はムスメと二人でアウトリガー付きの
カヌーのツアーに参加しました。
出発前に漕ぎ方乗り方などを教えてもらいました。
左が私でその横がチーフのフェルナンド君で
残りの二人はお客さんです。
フェルナンド君の合図で調子を合わせて全員で漕ぎます。
彼はオールで舵を取ります。
漕ぐこと、30分、ようやく休憩をしました。
ムスメは意外と元気でした。
帰りは迎え風でしたので休憩を挟んで40分かかりました。
無事にカヌー遊びを終えて、
浜辺でヤシのみジュースでゆっくりと休憩しました。
まあ、楽しかった、、、ような気がします。
腕の筋トレにはなりましたね。
二匹の犬の初体験。 [日記]
今回の旅行は二匹の犬たちには
新しい経験でいっぱいです。
アパート暮らしなので、
初めてリードなしで庭を走り回っています。
もちろん海も初めてです。
波を怖がっていました。
初めての砂浜を気持ちよさそうに走っていました。
冬ですが日差しが強く気持ちの良い日でした。
冬の海の貸別荘は安いし、
混んでいないのでペット同伴には最適です。
久しぶりで家族で旅行です。 [日記]
という訳で、ヨメとムスメと二匹の犬とで旅行に行きます。
サービスエリアはもちろんペット可ですが、
我々しかいませんでした。
行き先は島なのです。
フェリーに乗って、、
ようやく、借りた家につきました。
日本で言えば、古民家のような古い家です。
娘の部屋のシャワールームには
大きな岩があったのにはびっくりです。
夕食の後は、
ウッドデッキのソファーで、、
明日は朝からカヌーで海に出るそうです。
WiFiは4Gで、しかもかなりスピードが遅い、、
まだ、酒が残っています、、、
飲みすぎました... [日記]
昨日若い人たち...中年の人たちと
飲みすぎて調子が悪いので、
今日も早めに横になります。
明日から金曜日まで金曜日まで旅行します。
ブログは続けられると思います。
すいませんがよろしくお願いいたします。
最後まであったポルトガル語の問題。 [日記]
トビーと散歩をしていたら、
マンちゃんからSMSで「今日が最後だから来てね」と
メッセージが!
慌ててマンちゃんのカフェに行きました。
最後の注文は...チャイとサモッサです。
別れを惜しむ客が多いので、ささっと食べて
二人で最後の「ナマステー」でポーズです。
最終日の間違えは...
ヒンデゥ語訛りが強いポルトガル語と
日本語訛りが強い私とでは
よく、こういう間違えがありました。
息子よりかなり若いマンダール君とは
いい友達でしたが残念です。
私は朝早く犬と散歩をしたので
寒くてパーカーを着ています。
まあ年の差ですかね。
マンちゃん!オマエもか! [日記]
いつものように、
マンダール君のカフェに行きました。
マンちゃんがいきなり
「今週の土曜日で店を閉める!」と言い出した。
今年に入ってから家庭内の問題が大きくなって
4月に店を閉めることを決めたそうです。
で、売れ先が決まったそうです。
マンちゃんはクルーズ船の船員でしたが
コロナでココのサントス港で放り出されて
船内で仲良くなったブラジル人と結婚して、
子供が産まれて永住ビザを取得。
この店で頑張っていたけど、
奥さんから家族といる時間が少なすぎると
クレームがついたそうです。
共稼ぎで、ココでは有給休暇は法定で30日/年!
マンちゃんはこの3年間休まず働き詰め。
家族で旅行もしたことがない!!
ココではこれは重大な家族問題なんです。
例えば...
ココで、もし単身赴任と奥様に伝えた途端に離婚成立で、
一生または奥さんが再婚するまで、養育費は子供が成人するまで
慰謝料を払い続けることになります。
慰謝料を払わないと、即、投獄!
日本では考えられないでしょう?
まあ、マンちゃんのことだから、
売ったお金を資金に
家族と仲良く過ごせる仕事を探すはずです。
また一つ昔の日本が消えた。 [日記]
水曜ランチの会のいつもの食堂、甚六が今日を最後に閉店しましす。
最後のランチは...
オーノさんだけが麻婆豆腐ラーメン。
他の三人はチャンポン(と、メニューには書いてある)
地球の反対側で食べる日本食は
かなり本国とは違いますが、
我々には貴重な食堂でした。
また一つ思い出が消えてしまった。
時の流れを感じます。